この道を行けば

モントリオールでの留学生活を気の向くままに・・・
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「道」という言葉が俺は好きだ。
そのどこまでも続いていく、
何があってもつながっているというイメージが
「生」という言葉をも連想させてくれる。
その「道」には容易な道もあれば、
並大抵の覚悟と努力では通ることのできない茨の道もある。
人の一生で、どの道を選ぶかは
本当に、一人一人の一瞬一瞬の
努力と信念で変わってくるのだと思う。

大通りを肩を切って歩いていたら、
いつのまにか有頂天になっており、
そのせいで曲がらなければいけなかった
交差点の信号を見逃してしまい、
思わぬ行き止まりにぶち当たる。
いつのまにか、清清しかったかつての自信は
見るに耐えない傲慢さとなり、
人生の行き止まりではそれゆえに、
思わぬ時間を費やすことになる。

その行き止まりでふと後ろを振り返ってみると、
これまで遥々と歩んできた傾斜の激しい道が見える。
その道を後戻りすることができたとき、
それは後退ではなく大きな前進であることを、
人は時に見逃しがちなのかもしれない。
その道を少し引き返すことが
どれだけ勇気のいることなのか、
俺にはまだわからない。

もしかしたら、大通りを歩いていた
羽振りがいいときに、いつも、
5歩進んでは1歩下がってみるというような
歩み方をしていると、案外、迷うことなく
目的地に容易につけるのかもしれない。

そう考えてみると、ただ我武者羅に、
見えていない遥か彼方の目的地を、
方角だけは正しいだろうという気持ちで
走り続けることは、とてつもない危険を
孕んでいるのかもしれない。

ほとんどの信号を無視し、
行き止まりはよじ登ってでも越えて行く。
どこかの交差点では、大きな事故を起こすかもしれない。
そして、いつかとてつもない壁が、
登るにはとても高すぎる壁が出現したとき、
そこで衝突を起こすだろうことは
想像に難くないかもしれない。

俺はきっとその一番最後の方法で
「道」を歩んでいるんだと思う。
そしてそれを変えようとは思わない。
スピードに乗っているわけでは決してなく、
エネルギーはトライアスロン並みに消費する。
それでも、俺はそうやって「道」を進んで行こうと思う。

そうやって進まなければ、俺が目指した地点まで
到達する前に死んでしまうのではないか、と昔から
ずっとそう思ってきた。
もしかしたら、その目的地はあまりにも
遠すぎるのかもしれない。
でも、目指したものが確かにあるなら、
馬鹿と言われようが、青二才だと怒られようが、
俺はそうやって走り抜けるように生きたいと思う。

たとえ途中で力尽きても、死ぬとき
きっと自分が目指したゴールを睨んで死ねるだろう。
次また生まれてくることがあっても、同じゴールを
目指すくらいの気持ちで死んで生きたいと思う。
言い返せば、俺はそれくらいの気持ちでそのゴールを目指したい。


でも今日は、そんなことを考えながら、ほとんど全面氷と化した道路を、
これでもかというほど慎重に、一歩一歩確かめながら俺は歩いていたんだけど。
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