バトンというのが最近はやっているらしい。みんな俺に回しても絶対無視するだろうって決め付けているのだろう、俺には一つも回ってこない。実際、回ってきても、ほとんど無視するかもしれないけど。だけど、バトンに回答することで、よりお互いのことを知り合えるという点では、送ってくる相手とその質問内容次第では答え甲斐があるものもあるのかもしれない。
そんなバトンだった。ペンシルベニアにいる友達Hirouからのバトンは。
『』バトンとは、回す人が題を考えて他の人に回していくバトンらしく、Hirouが俺に与えた題は『旅』と『傷』。今日は『旅』を選んでみようと思う。
◆1 PCもしくは本棚にはいってる『旅』
パソコンにはこれまで旅してきた4大陸の写真が数千枚。それプラス、俺が旅を始めたときからの旅仲間toshiが俺がカナダに行った後も引き続き世界中を回り、その彼が行く旅の先々で送ってきてくれた写真が。
本棚にある、旅といえば、俺がとことんまで腹を壊したカルカッタでの熱い夏、毎日療養という名の下に、安宿の近くにあったちょっとモダンなカフェで毎日のように読んでいたインド人作家、Tagoreの詩集かな。旅の時読んでいた本はほとんどすべて、出会った旅人たちと交換してしまったり、宿においてきてしまったりで、ほとんど残っていない。そんな中でどうしても手放せなかった本がそのTagoreの詩集だった。
その中でも、数え切れないほど繰り返し読んだお気に入りの詩は"The Forerunner"という詩だ。ここに紹介してみようかな。
"The Forerunner"
O Traveller! You are alone-
How could you see the Unknown within you?
In the night you followed the path
Never trodden before;
You saw the sign in the sky
And alone you went;
You climbed the high peak,
From where the morning star
Sets forth on her voyage of light.
When in April heat the waterfall is born,
It has a vision of its far-distant future
Indescribable in beauty!
"I am! I am!" This refrain blossoms forth,
And hearing this call
The waters rush towards the Unknown.
Likewise, an unuttered message echoes within you,
And in every breath resounds the great yea:
"I am! I am!"
Great rocks bar the way,
Echoing the warning
"No! No! No!"
Waves thunder against lifeless matter,
Doubt raises its finger
And the coward shivers!
The sluggish mind conjures up fear,
And seeking safety rushes towards death.
In the narrow path of New Life,
You are the forerunner, ignoring all limits,
Conquering the impassable.
In every step resounds the great yea:
"I am! I am!"
◆2 今妄想している『旅』
とりあえず大学をできるだけ早く卒業して、アメリカ大陸を北端からアルゼンチンの南端のホーン岬まで、自転車かバイクで下りて行きたい。ぱっと思いつくだけでも、まずグアテマラのアンティグア、ペルーのクスコ、エクアドルの首都キトはどう遠回りしても通って行きたいな。まず、アンティグアはグアテマラの首都グアテマラシティからバスで1時間ほどの古都でスペイン帝国時代の名残が残るコロニアル風の町としてバックパッカーには名の知れた場所。クスコの旧市街付近のアルマス広場も南米を旅するパッカーたちの間では名の知られた安宿街。そしてエクアドルのキト。ここの旧市街にある超有名な安宿の名は「ホステル・スークレ」。一晩1ドルで泊まれるので一日の出費は5ドルほど・・・。と、中南米には魅力的な街が数え切れないほどある。いつか将来仕事を早々にリタイヤして冒険家になるのなら、まずは南米のアマゾンを重火器フル装備で探検してみたい。それまでに、フランス外人部隊やアメリカのサバイバリストという独特の軍隊式護衛集団と生活を共にし、できるだけの技術と知識つけることも忘れずに。
◆3 最初に出会った『旅』
最初の旅はアメリカか。映画を見ながら憧れ続けたアメリカ。無限に続く青空と白いビーチ。そしてビッグウェーブ。高校を卒業してまず向かったのはLAだった。当時、カリフォルニアにはチャックノリスなどハリウッドスターに多くの格闘技や武術を教えていた空手家がおり、その人の下で修行をしたいと思い、高校を卒業してすぐ3ヶ月間無茶苦茶働いてLAにいった。
そして、空港に着いたらいきなりLA空港テロ未遂の報道。2002年の7月4日だったかな。独立記念日か何かで特別警戒中の中の出来事だった。いきなり、度肝を抜かれた。アメリカの匂いを感じた。
毎日気まぐれにLAの下町を道場を探して歩き回った。そして人生最初の銃口との対面。アーメン。格闘技の道場なんてそういうところにしかないんだ、どうせ。コリアンタウンだかメキシカン地区だかそのへんを地図も持たず、タクシーも使わず歩き続けた末に出会った、黒光りする銃口。
道路わきに止まったバンには刺青だらけのいかつい男が4人。ニヤニヤしながらこっちを見ていた。手先で銃をくるくる回していた。あのときはガキだったな。まず体の神経が止まった。身動きがまったく取れなくなる。でも、まあ向こうに撃つ気がなかったのか、俺は逃げれて今生きている。結局そんなところにある道場に通う気にはなれず、カリフォルニアではLAからバスで40分ほどのところにあるトーレンスという街にずっといた。そこはサンタモニカビーチ、りドンドビーチと強烈なほどに真っ白な白浜が続いていた。本当に、映画の中のアメリカそのままの世界だった。
その後、NYのマンハッタンでも空手の道場に通い、あの時はコリアンタウンのカメラ屋で使い走りをして小遣いを稼いだりしてたな。
本当にバックパックを背負って旅に出たのは翌年の春。まずは北京に向かった。中国を上から下まで自転車とバスで下りて行こうと思って。中高校時代からの親友Toshiと。そして上海に着いたら分裂して、「じゃ、陽朔のカフェ"Under the Moon"で1週間後に」とかって言いながら。あのとき、バックパックを担いで中国の山の中を自転車で走り回ったときの思い出は今でも強烈だな。こんな山道を国民党に追われていた、周恩来率いる共産党は延安目指して逃げてたのか、なんて思いながら。ある山道では付近の村の小さな女の子が一生懸命追いかけてくる。裸足で。どれだけ無視しても追いかけてくる。その手には小さな財布のような民芸品が。それを道行く人に売ることで生計を立てていたのだろう。4,5歳の小さな女の子がそこまでして売ろうとするものを、100円を惜しんで旅をしている身ではあったけど、無下に断ることはできなかった。
陽朔でToshiと再会したとき、彼はMasterCardのコマーシャルに出演したりして一転して中国の村でスターになっていた。その後、俺たちは香港まで下りると、これまでの貧乏旅行からは一変し、高級スポーツカーで香港中を案内される身分になっていた。香港で、俺がかねてからインターネット上のボランティアで日本語を教えていた香港人の女の子に香港にあるペニンシュラホテルの前で待っておくように言われたのだ。そのとき、俺は相手が映画女優だとは思いもしなかった。あの中国が始まりだったかな。今でもあのまま香港に残ってテレビや雑誌の世界で仕事をしていたかったなと思うときがある。
◆4 特別な思い入れのある『旅』
20歳の誕生日を俺はどうしても世界最高峰のエベレストで迎えたかった。インドはバラナシのガンジス川で沐浴をしたらそのまま病気になり、一気に旅の速度が落ちた。目的もなく街をぶらついては、一杯10円ほどのチャイを飲んでぼーっとしてた。カレンダーをまったく気にせずに旅していると、久しぶりにあけたメールで、20歳の誕生日が近いことを知った。そしたら、慌てたな。どうしても20の前夜までにはネパールに入っていないといけなかった。バラナシからバスで19時間。一番越えやすいと言われていた国境を選んだつもりが、その途中、谷底に転がる無数のバスの残骸を見て、20歳を迎えられないかもしれない、と真剣に落ち込んだ。どうにかこうにか辿り着いたインド・ネパールの国境では、パスポートにインド出国のスタンプがなかったことを理由に国境警備隊に拘束された。でもそこは、とっさにありったけのインドルピーを握らせて(300円ほどだった気がする)、放してもらい、ネパールに入国。その夜は、国境の街(名前忘れた)に滞在。宿代は70円だった。各色とりどりの髪の毛にパンの粉やカレーのたれがついたベッドカバーは、それなりに旅慣れしていた俺でさへ、そのまま寝るには抵抗があった。新聞紙をありったけひいて、黒のゴミ袋をかけて外服のまま寝たけれど、翌朝体中が痒かった。
まあ色々あったけど無事に誕生日前日にはネパールの山岳地帯に入り、エベレストが望める宿に落ち着いた。その宿には、その夜、ポーランドから一人で旅をしていた女子学生が泊まっていた。彼女は俺の二十歳の誕生日を温かく祝福してくれた。エベレストが望める小さなバルコニーで。
蝋燭の火の中に微かに想い出せる、ネパールでの熱い夏の夜だった。
俺は今、モントリオールのマギル大学で思わぬ逗留を強いられている。だけど、ここにはここにしかないすばらしい出会いがあり、いいジムがあった。モントリオールで生活してまず、体格が変わった。20キロも増えた。それだけでも大きな成長だっただろう。大学を一刻も早く卒業し、少し旅をし、まずはお金をためるために仕事をするだろう。そしてあるとき、すべてを投げ捨て俺は旅に出る。大きな船を買って船で世界を回りながら生活してもいいかもしれない。それならギリシャの船舶王の所にでも弟子入りするか。海底にはいまだ60億ドルとも600億ドルとも言われている財宝が見つけられることなく眠っているらしい。そんな財宝を生涯探し続けるか。いつかは冒険家になろう、と俺は思っている。